うつけ者

ミニバイクの酒気帯び運転で、さすが「うつけ者」の子孫、との声もあるフィギュアスケート織田信成選手であるが。
ほんと、信長によく似た顔をしている。もっとも信長の顔なんて、教科書の挿絵でしか知らないのだが。

織田信成選手は、信長から数えて十七代目の子孫らしい。

まあ、十七代も経れば、遺伝子がどうのというのも、無意味だと思うが。信長は、スケートで天下を取ったわけじゃない。

日本人の系図が整備されたのは徳川初期である。

しかし大名であろうと、たいていは戦国風雲のころ成り上がった者ばかりで、遠祖は何者とも知れない。

司馬遼太郎の短編『美濃浪人』に、こんな話がある。(『人斬り以蔵』新潮文庫・収録)

京の着だおれ
江戸の履きだおれ
大阪の食いだおれ
美濃の系図だおれ
という。

系図が現実的な力をもっていた徳川時代には、その売買が正気でおこなわれた。「系図買い」というのは、出身の卑しいものが、家計を装飾するために、他の家の系図を買うこと、という意味である。

「系図知り」というのは、諸家から頼まれて系図を偽作する専門家のことである。
美濃という土地は、戦国のころ斉藤道三、織田信長に攻略され、この地が、六十余州の風雲の中心になった。

美濃人の有能有芸者は織田家、豊臣家に吸収され、数え切れぬほどの大名・小名が群がり出た。

これが徳川期になると、幕府は、美濃から大いなる者が出て天下を乱すことを恐れ、美濃のほとんどを直轄領とし、他の部分も土地を細分化し、小領主に文治させた。

このため徳川期における美濃は、武士の最も少ない地帯になりはてた。が、この国の住民どもは、往昔の栄光を忘れられない。
何某の大名とは、遠祖をたどれば親類である。などと、うそぶく者が多い。
自然、村々が系図自慢の家で軒をつらね、他国人にそれを誇り、ついには、「美濃の系図だおれ」といわれるようになった。

新潮文庫 P308から引用)