時をかける少女

 テレビでアニメ『時をかける少女
 なつかしいなあ、と思いつつ見る。少し気になることがあったので、書店へ寄ったついでに、原作の文庫本を立ち読み。それで、いったん本を書棚に戻し、別の棚を回って、やっぱり買おうと思って、戻ると、書棚から本が消えていた。
タイムリープしたのだ!

 それはさておき。映像化されたもので一番良いのは、原田知世ではなくて、NHK少年ドラマシリーズの『タイムトラベラー』だと思う。気になったのは、少女がタイムリープで過去に戻った時、過去に生きている自分と、はちあわせするんじゃないか、というパラドックスの問題。筒井康隆の短編『笑うな』は、その設定を使ったドタバタ。
 ハインラインの『夏への扉』でも、過去に戻ると、昔の自分自身と遭遇する。
時をかける少女』の原作では、少女が過去に戻ると、過去に生きている自分は姿が消えてしまう。だから同じ時間帯に、二人の自分がいるという、パラドックスは起こらないという設定になっていた。しかしそれでも、少女がタイムリープしたとたんに体が消えるけど、その少女が消えたあとの世界は、どうなってしまうのか、という問題が残る。(家族や友人は、少女のいない世界を生きていくのか)
 他にも、少女が歴史を変えたために、不幸になる人もいるわけだが、それは、少女が踏み切り事故にあわなければ、他の誰かが、事故にあう、ということでもある。はたして誰が、少女のかわりに死ぬことになるのか。(原作では、少女が事故を回避したために、暴走トラックが若い主婦をはね、洋品店に突っ込む)
 ややこしいですね。
 タイムトラベルで、何度も過去へ行って、歴史を変えようとする物語は、ハインラインの短編『時の門』にある。この小説の複雑な時間軸を分析したものに、広瀬正の「『時の門』を開く」、というエッセイがある。(広瀬正『タイムマシンのつくり方』集英社文庫・収録)
 また、広瀬正の小説『マイナス・ゼロ』は、そうしたタイムパラドックスに挑み、ハインラインを超えた傑作。
 アニメ版『時をかける少女』の、惜しいところはラストシーン。(以降、ネタバレ注意)
 原作では、タイムリープで未来からやってきた少年は、少女と出会うが、「歴史を変えてはいけない」という原則のために、少女の記憶をすべて消して、未来へ帰っていく。「現在」に残された少女は、自分がタイムリープしたことも、未来少年との出会いも、淡い恋心も、すべて忘れてしまい、またもとの日常に戻る、なんとも、せつないラストシーンだ。
 しかしアニメ版では、少年が未来に帰っても、紺野真琴の記憶がすべて消えるわけではない。おまけに、かつてタイムリープを経験した和子が、真琴の伯母さんとして登場し、「わたしも昔、同じことを経験したわ」などと語る。おばさん、タイムリープの記憶を消されたんじゃなかったのか。
 でもまあ、よくできたアニメだったと思います。

時をかける少女

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