鹿鳴館

劇団四季の『鹿鳴館
観たいなあ、と思ってたら、教育テレビ「劇場への招待」でやっておりました。

宝塚と劇団四季というのは、どうも、おれなんかが迂闊に足を踏み入れちゃいけないような、なんか気後れしちまう場所なのですが、観るとけっこう、満足感が得られます。

原作は、三島由紀夫。なんとも、物悲しいというか。

ちょんまげ、着物、チャンバラ尊皇攘夷だの、倒幕だの、戊辰戦争だの、そういう土俗的で血なまぐさい時代から、たかだか二十年ほどで、西洋の華やかなドレスを身にまとい、鹿鳴館で、夜な夜な、舞踏会をやっておるわけです。

そういう日本人の、物悲しさを感じる舞台でした。

影山伯爵のセリフから。

そうだ、その菊をごらん。たわわに黄いろの花弁を重ねて、微風に揺られている。これが庭師の丹精と愛情で出来上がったものだと思うかね。そう思うなら、おまえは政治家にはなれんのだ。
政治家ならこの菊の花をこんなふうに理解する。
こいつは庭師の不満、ひいては主人の私に対する憎悪、そういう御本人にも気づかれない憎悪が、一念凝ってこの見事な菊に移されて咲いたわけさ。 
花作りというものにはみんな復讐の匂いがする。
絵描きとか文士とか、芸術というものはみんなそうだ。ごく力の弱いものの憎悪が育てた大輪の菊なのさ

こういう芝居を見せられると、三島由紀夫というのは、つくづく育ちがいい人だなあ、と思います。

三島は随筆「私の遍歴時代」において、太宰治をこう評しています。

太宰氏のものを読みはじめるには、私にとって最悪の選択であったかもしれない。それらの自己戯画化は、生来私のもっともきらいなものであったし、作品の裏にちらつく文壇意識や笈を負って上京した少年の田舎くさい野心のごときものは、私にとって最もやりきれないものであった。
<略>
私には、都会育ちの人間の依怙地な偏見があって、「笈を負って上京した少年の田舎くさい野心」を思わせるものに少しでも出会うと鼻をつままずにはいられないのである。

さらに太宰の『斜陽』を批判する。

言葉づかいといい、生活習慣といい、私の見聞きしていた戦前の旧華族階級とこれほどちがった描写を見せられては、それだけでイヤ気がさしてしまった。

貴族の娘が、台所を「お勝手」などという。「お母さまのお食事のいただき方」などという。これは当然「お母様の食事の召し上がり方」でなければならぬ。
その母親自身が、なんでも敬語さえつければいいと思って、自分にも敬語をつけ、「かず子や、お母さまがいま何をなさっているか、あててごらん」などという。
それはしかも、庭で立ち小便をしているのである!

おそらく三島の方が、育ちの良さにおいても、教養においても、太宰より勝っていたであろうが、それゆえにと言うか、その作品の根底には、虚無、というものを感じます。