ゴダールは吹き替えで

おもいがけず、ジャン=リュック・ゴダールの映画を2本。

『アワーミュージック』(2004年)GyaOギャオで配信

『愛の世紀』(2001年)Yahoo!動画で配信

変わってないなあ…。というのが、久しぶりにゴダールを見た感想。

いや、もう世の中には、”ゴダール風”の映像というのは、ありふれていて、そういう中で、本家はどういう映画を撮っているのか、という興味があったのだが、やっぱりゴダールだった。

ゴダールってこういう、あえて言えば、「映画のための映画」か、「思想のための映画」しか撮れないんじゃないか、なんてことを思いつつ、見たわけでございますが。

若い頃の映画には、ナンセンスなユーモアがあり、退屈さを救っておりましたが、この2本は、そういうものが失われており、まあ民族紛争など、テーマも重たいものだったし。

それで、どちらも字幕スーパーでしたが、ゴダールの映画は、吹き替えにしてくれないだろうか。字幕を読んでいると、映像に集中できないし、しかも、難解なセリフが多いし、意味を考えているうちに、次の字幕を読み逃したり。

ゴダールの映画は、複数の人物が、同時に喋る場面もあるし、テロップとナレーションが、同時に使われる場面もあって、そういう時の字幕は、画面の縦と横に文字が並んでたり、思いっきりセリフが省略されていたり。
とにかく、よけいなストレスがたまるから、吹き替えにしてください。「ロスト・イン・トランスレーション」というのは、
”翻訳の過程で失われるニュアンス”といった意味だが、まさにそれ。

『愛の世紀』は、

恋愛映画の企画を進めている青年が、ある女性に出演を依頼するのだが、彼女は死んでしまう。そこから、2年前の回想シーンが始まり、彼女との出会いが描かれ、さらに、回想は過去へとさかのぼっていく…。

という凝った構成の映画で、映画が撮られる以前の物語、映画の外側の物語、というべきものが描かれていきます。

これは、ハリウッドの商業主義や、俗受けを狙った恋愛映画に対する、ゴダールの批判であり、セリフでも、随所にスピルバーグらへの批判が見られます。

とはいえ、ゴダールもまた、商業的に成功した映画人の一人であることは、たしかです。ジャック・スミスのように、たいした評価も与えられず、困窮し、エイズで死んだ、アングラ芸術映画の監督と比べれば。

パリ五月革命で活躍した、ギー・ドゥボールなどのシチュアニストも、ゴダールの商業主義を批判していたことは、記憶されるべきでしょう。

参考:ギー ドゥボールスペクタクルの社会』(木下誠訳・ちくま文庫