少し前になりますが、
TBSテレビ『日本人が愛したテレビ偉人伝・逸見政孝』
という番組タイトルを、新聞で見ました。
逸見政孝氏のことを、べつに悪く言う気はありませんが、彼のことを「偉人」かと問われると、どこかちがうのではないか、と思うわけです。
偉人というのは、
ガリレイだとか、ニュートンだとか、ジェンナー博士だとか、エジソンだとか、キュリー夫人だとか、野口英世だとか、アインシュタインだとか、
そういう人のことだと思うわけです。
小学校の図書室に、伝記があるような人たちですね。
「偉人」といっても、最近の研究では、その業績に疑問があったり、性格破綻者だったり、
いろいろ問題がある人物もいますが、それでも、この人がいなければ、世界の歴史は別のものになっていただろう、と思われるほどの、偉大な業績を残した人だからこそ、「偉人」と呼ばれるのでしょう。
ひるがえって、逸見氏の残したものといえば、はたして何があるのでしょうか。
「テレビ偉人伝」と申しますが、逸見氏が、何か革新的な番組を手がけたとも思えず、アナウンサーとして、特別に技量が優れていたとも思えません。
それでもあえて「テレビ偉人伝」という番組を、作るのであれば、この番組に出演されていた黒柳徹子さんのほうが、ボランティアなどの社会貢献度にしても、よほど「偉人」でありましょう。
テレビというものは、ものごとを大仰に演出するものだということは、亀田興毅の件でも、わかりましたが、「偉人」などと喧伝されると、やれやれ、と思ってしまいます。