同性愛は、本当に「同性」愛か

エルトン・ジョンが、ボーイフレンドのカナダ人男性と結婚しました。
男性同士による結婚ということで、何かと話題になっております。
みうらじゅんさんが、書いておりましたが、かつてエルトン・ジョンのラブソングを、女性への愛を歌ったものだと思って聴いていた自分は、彼が同性愛者だと知ってショックを受けた。
あのラブソングは全部、男への愛だったのか…。
そういえば、ワムの「ラスト・クリスマス」という歌も、男から男へのラブソングだとすると、キリスト教を冒涜するかなり危ない歌になるかも知れません。
ところで同性愛は、本当に「同性」愛なのでしょうか。
男性同士(あるいは女性同士)、のカップルであっても、たいてい一方が男性的なルックスであり、そのパートナーは女性的であるか、はっきりと女装しています。
つまり外見上は、男性と女性のカップルです。
オス・メスという身体的な性別(SEX)では、たしかに同性ですが、ジェンダー(社会的・文化的に作り上げられた性別)においては、異性カップルです。
ジェンダーとしての女性は、同じ女性ではなく、ジェンダーとしての男性に対して恋愛感情を抱く、ということでしょうか。
そうすると、恋愛というものは、ジェンダーとしての男と女の間にしか、成立しないのではないか。
同性愛者というのは、原理的に考えれば、子孫を残さずに、一代限りで死んでいきます。
だから、同性愛的な嗜好が遺伝によるものとは考えにくい。
つまり同性愛といった現象もジェンダーに縛られているがゆえ、とは、考えられないでしょうか。
だからおれは、一部のフェミニストと同性愛者が、親和的であることに、納得がいきません。
一部のフェミニストが考えるように、ジェンダーというものが教育や制度によって解消され得るとするなら、ゲイの女装も、問題視するすべきです。
女装というのは、ジェンダーとしての「女性」の記号を身につけることですから。(女だから口紅を塗り、女だからスカートをはき、女だから…、などなど)
おれの考えでは、人間は、社会的・文化的にしか生きられない以上、ジェンダーは、むしろ、身体的な性別より、重要だと思っています。

ザ・ベスト~僕の歌は君の歌

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