キューポラのある街

 映画「キューポラのある街」の原作者、早船ちよさんが死去されました。この映画はたしかに名作だけれども、いま観るとかなり不幸な映画でもあります。
 それは、テレビ放映の時に朝鮮人差別に関するシーンがカットされる、というような問題とはべつに、もっと本質的な意味で。
 浦山桐郎は、山田洋次とともに、戦後民主主義、左翼市民主義を、素直に奉じた世代の監督であろうと思います。『キューポラのある街』は、社会主義リアリズムのお手本のような映画と言えるでしょう。
戦後の日本の、ひとつの理想がここに描かれています。しかしそれは浦山桐郎という、左翼インテリにとっての美しき理想でありました。
 吉永小百合演じる聡明な中学生ジュンは、県立高校に進学できる学力がありながら、あえて労働者となる道を選び、働きながら学ぶことのできる定時制高校へ進みます。
「一人が五歩進むよりも、十人が一歩ずつでも、前に進む方が、だいじなのよ」
 汚れのない瞳でそう語るジュンの言葉は、胸を打つと同時に、ある種の痛ましさも感じます。その後に訪れる高度経済成長の中で、ジュンをはじめ、定時制高校卒のトランジスタ工場の哀しき女工たちの人生に、少しでも幸あれば、と願わずにいられません。
 まあ、現実の吉永小百合は、西武王国総裁とも親密な関係を築きつつ、西武ライオンズや、早稲田ラグビー部に無邪気な声援を送り、などという野暮な話は、さておき。最近でも、原爆詩の朗読など、社会的な活動も行う背景には、「キューポラ」精神が残っているのでしょうか。
 しかし、ジュンもその弟も、女工たちも、まだ、マシかもしれません。
 パチンコ屋でアルバイトをして学費を稼ぐ中学生の金山ヨシエ。学校で同級生から、「朝鮮ニンジン」という侮蔑的な言葉を投げつけられ、いじめられている弟のサンキチ。
 やがて貧しき姉弟は、父とともに北朝鮮への帰国事業に参加します。盛大な見送りの中、父の祖国・北朝鮮へと、「帰って」いきます。
「いまより、貧乏になりっこ、ねえからな」
 そう言い残して、旅立っていくサンキチ。新しい社会についての希望を語る、ヨシエ。
 しかし彼らの向かう場所が、決して「地上の楽園」ではなかったことを、我々はすでに知ってしまいました。
 この映画のラストシーンほど、残酷なシーンはないかもしれません。ジュンが、定時制高校への進学を決めたのと同じ意味で、北朝鮮へと帰っていく一家の姿は、美しき理想であったはずです。
 地獄への道は、善意で敷きつめられている。
 浦山桐郎監督が亡くなったのは、1985年。できればもう少し長く生きて、この世界の残酷さを、見届けてほしかった。そして『キューポラのある街』のその後を、撮ってもらいたかった。いや、誰かが、撮るべきではないかと思います。庶民の生活を描くという理想が、じつは、左翼インテリの理想の投影に過ぎなかった事実を。

キューポラのある街 [DVD]

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  • 発売日: 2002/11/22
  • メディア: DVD