三島由紀夫トホホ伝説

最近、三島の名前を、よく見かけるわけですが。そうですか。おれの嫌いな監督が、また、くだらない映画を撮ったんですか。

生誕80周年? 生きていれば、もうそんな歳ですか。

例の、自衛隊で演説するニュース映像とか、ボディビルで鍛え上げた肉体とか、最近では、そんなイメージの方が強くなっているのかな。でも、どうやら三島氏は、まったくスポーツができなかったみたい。

石原慎太郎が『三島由紀夫日蝕』という本で書いています。

石原氏は、まちがいなくスポーツ万能の人で、歌だって、裕次郎よりうまいって、中上健次が書いてましたが。

それで、スポーツの能力というのは、もう、見ればわかる、一目瞭然なわけで。うまいか下手かわからない芸術の価値判断なんかより、よほど残酷なわけ。

それで、石原慎太郎の書くところによれば、三島由紀夫はもう、みごとなくらいに運動ができなかった。

増村保造の『からっかぜ野郎』という映画で、三島は主演するわけですが、この時、増村監督から「徹底していびられた」そうです。

セリフは誰でも少しやれば出来るが、演技の動きが全然ちぐはぐでどうにもならない。
情婦の若尾文子に灰皿をふつけるシーンでは、とにかくまともに物が投げられない。

それで石原氏は、当時、撮影現場を見ていた若いスタッフの話としてこう書いています。

「よくいるでしょ、頭は良くても運動はさっぱりで、キャッチボ−ルしてても投げ方の変な子が。あれなんです。だから監督が匙投げて、昼飯食ってる間に裏方の誰か相手にキャッチボールしてこいって。三島さんもいわれた通りまじめにキャッチボールしてましたよ」

さらに。ラストシーンで、主人公はエスカレータで撃たれて死ぬ。その、撃たれて仰向けに格好よく倒れる、という動作がどうにも出来ない。三島は、思い切ってまともにぶっ倒れてみた。

「頭を鋼鉄のエスカレーターのエッジにまともにぶつけて頭を裂くという大怪我をし緊急入院ということになった。」


すごく、哀れというか、三島さんも無理してるよなあ。なんてことを思うわけですが。
ほかにも、「なんだかなあ…」というエピソードがいっぱい書かれていて、三島の別の面を知ることができて、とても面白い本です。

三島の自作映画『憂国』の原版フィルムが、新たに発見されたとかで、それをDVD にして、今度出る全集の付録として、つけるとか。でもこの映画、公開当時、それほどの評価は得られなかったようです。
再び、石原慎太郎三島由紀夫日蝕』からの引用。

三島氏は自作、自演、自監督、自製作で映画「憂国」をつくったが、この作品でとにかくどこの映画祭でもいいから、何の賞でもとりたいと七転八倒、東奔西走していた。

ヨーロッパのあちこちで行われる映画祭の情報に詳しくそれに関わるいろいろなアレンジメントもしていた、当時ユニ・フランスの社長のマルセル・ジュグラリスは私の作品集のジュリアールからの出版に際しての翻訳者であり、たまたま彼の秘書をしていた女性が私の女友達だった。

マルセルが映画「憂国」をまったく評価しておらず、その作品を持ち込んでどこの国の何の賞でもいい、たとえ撮影賞でもいいから取るべく差配してくれぬかとしつこく頼む三島氏に腹を立て、氏のことをスタッフの前で皮肉に評しているのを私は彼女から逐一聞いていた。
彼女もまたオフィスの主宰者を真似て、事務所にやってきた三島氏の印象を小馬鹿にして伝えたが、聞く私には無念な噂だった。
(引用終了)

三島由紀夫の日蝕

三島由紀夫の日蝕